「自由」に「表現」できれば、授業は楽しい。「人生も楽しい。」・・No.23・・1月7日発信
- (一社)職業教育研究開発推進機構
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- 5 日前
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学生にとっても、教員にとっても、授業は楽しくなくてはいけない。(人生も楽しくなくてはいけない。仕事も楽しくなくてはいけない。) 学生にとって眠いだけの授業、「やらされる」授業はもってのほか。「楽しい」という要素は、「やりたいこと」が「自由に」「行動や表現」できるという事が大きいだろう。この点で、教員だけがやりたいことを自由に表現して良いわけではない。学生も教員もともに楽しむ「共生」が基本である。(学生が面白なさそうにしていれば、教員だって楽しくはないはずだが・・。)
学生が先ずは「やりたい」授業となれば、当該科目を自由に「選択」出来るというのが、基本である。「必修」科目は少し辛い。その上で授業中に自由に表現(行動)出来る(これは憲法に認められた基本的人権)・・自分の考えた通りの言動をすることが認められている・・のが基本である。これは、授業方法の問題で、担当教員の考え方や進行次第で、科目が何であれ可能である。
この場合の「楽しい」は、充実感や満足感を味わうとかを含むだろう。単に「楽(らく)」なのとは異なる。そういう楽しさを味わうには、それなりの時間を使って準備活動を行うことが必要である。この準備活動の質量は、本番の楽しさの質量に大きく影響する。
もう一つ、本番での楽しさの大きな要素となるのは、一緒に学ぶ仲間である。行動は一人で行う場合もあるが、表現は相手がいなければ成り立たない。とすればその相手や仲間たちの準備活動の内容は、自分の「楽しさ」に大きく影響する。このことは、自分も他の人にとっては相手であり仲間であるのだから、自分の準備活動は他者の「楽しさ」に大きな影響を与える点を自覚しておかなければならない。学習仲間のコミュニティの構成メンバーとしての大切なマナーである。
では、こういう展開になるような授業をどう創っていくか、引き続き、考えて行こう。
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ご意見送付先・kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)
