「違いが解る」・「分類」「分析」が基本・・・・・・分類基準がないと、違いを見分けられない。分類、分析もできない。・・・No.39・・4月29日発信
- (一社)職業教育研究開発推進機構
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前回、「見よう見マネ」が出来れば、「『注意して集中し』『問題解決』に取り組み、『意思決定』をしていく一連の流れ」にも取り組めると書いたが、勿論、マネする意思がないというのは論外として、何でもとにかく見ればマネできるというものではない。
友達が木を登るのを見て、マネして登れるかと言えば、そう簡単ではない。マネできない、登れない(上手く行かない)としたら、何が問題か。多分、見る『観察』が上手く行っていないのが一つの理由だろう。木登りでいえば、見る時に、手の動き、足の動き、体の動かしかた、登ろうとする木の条件(枝ぶりや木の皮の形態など)などという分類視点を持って、それらの動きに相互連携を含めて、「見」ないと、漠然と見ていても真似は出来ない。
マネできない、登れないもう一つの理由は、登る側の条件である。登れるAさんには出来る身体の動きなどを、マネしようとするBさんが、その通り出来るかという問題である。一般的には練習すれば可能であるが、身体的技量次第では出来ない場合もあるだろう。
これらの点は、体だけの問題ではなく、『問題解決』に取り組み、「意思決定」をしていく過程等でも同じことであり、先輩の判断の仕方や進め方を見れば、自分もその通りできるという訳には行かない。この場合は、どれだけ深く先輩の判断の背景を見ているかが課題であるし、判断の表現や執行の仕方をその通りマネできるかもあるだろう。
とすれば、これらの、「マネする」が上手く行うにはどうすればよいのか。その原点は、細かい違いを見分ける力、分類基準を持っていて、それを当てはめる力が自分の中にあるかどうかである。気を付けなければいけないのは、分類基準を知っているだけでは現物の分類は出来ないという点である。実際の問題解決は、紙に書いたり、言葉で言えば、解決するわけではない。人間なり物質なり何かの現物と関わらなければ、問題は解決しない。料理をしていて、「甘い」と「辛い」の区別がつかなければ、まだ、「どのくらい」甘いとかのレベルも区別が出来なければ、美味しい料理は出来ない。(もちろん、その違いを言語化できることも必要である。) 鳥を見ても、分類と名前が解らなければ、ただ「鳥がいる」というだけでしかない。「メジロ」がいるとか「スズメ」とか「燕」とか「ハヤブサ」とか、現物を見て名前が解ると、更に違う分類基準を踏まえて分析し、「燕」がいる背景(初夏になったな、近くに水場があるな、巣を作りやすい所があるな、とかとか)を推測することもできる。
つまり、マネをするにも、まずは、実物を見分けられ、それを言葉(分類)に出来る(分類基準を持っている)ことが必要なのである。その上で、その内容のレベルや、相互作用に関し分析的に組み立てられる時に、はじめて適切な判断が可能になり、其処から問題解決の糸口が見えてくるのである。
勿論、全ての現物や現実を体験出来るわけではない。が、一定の経験や体験があり、それを言語化できていれば、それとの比較などから、現物や現実を類推する(想像力を高めていく)こともできる様になる。
私たちが楽しく生活していく(生きていく)ためには、「生活」がどういう要素から成り立っているかに関する分類基準をしっかり持っていることが基本である。これがないと、問題にぶつかった時に、何が問題なのかを適切に把握できないし、ました解決は難しい。その分類に関し、現在最も優れた基準が、ICF[国際生活機能分類]なのである。
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ご意見送付先・ kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)
