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「お喋り」は楽しい・・創るのは楽しい・・・・リアルな情報交換はとても大切・・ ・・・No.36・・4月8日発信


 ある方が、「女性は顔見知りではなくても、同じ部屋に30分もいたら、必ずお喋りが始まる。お喋りは楽しいのに、男性は、そうならないので寂しそうで可哀そう。」と言っていた。これを私が改めて意識したのは、あるサークルで同席した男性同志は全く会話がないのに、女性たちのお喋り声が聞こえてきた時である。話題は「今日の晩御飯は」だった。多くの場合、女性たちの方が、お喋りが始まりやすいのは、ほぼ誰でも加われる共通の話題があるからだろう。「どこのスーパーの何が美味しい」とか「何をどう作るのか」とか、「そのセーター、いいわね。どこで買ったの?」とか・・。これに対し男性たちは共通の話題が中々成り立たず、お喋りは始まらない。趣味の話は、一部の人しか共有できないし、仕事の話は色々制約もあって、誰にでも話せることではない。しかも、これらの話は、特定の年齢層でしか通用しない。

 これに対し、女性たちの食べ物や着るものを選んだり作ったりの話は、年齢も地域も関係なく、死ぬまで共通の話題たりえる。ただ、こうなるのは、日ごろ女性達は何を食べるか、何を着るか、日々選択して作って(考えて)など、しっかり根付いた暮らしをしているという前提があるからだろう。男性たちの多くは、日々、出されるものを食べ、決まったものを着ているだけであり、その暮らしは(仕事も)誰かにコントロールされっぱなしである人が多い。(定年で仕事を止めるなどして)誰もコントロールしてくれなくなると、どう暮らしてよいか分からなくて困るというくらい「根無し草」である。どちらが楽しいかと言えば、自由に選んだり作ったりしている方(女性たち)、暮らしを生涯、自分でコントロールしている方楽しいだろう。そして、この楽しさを支えているのは、その根を大きく強く張っていくのに役立つ日々のお喋りも大きい。

 最近は料理が好きだったり、おしゃれを楽しむ男性も増えてきて、変化していく兆しはあるが、大筋の傾向は変わっていない様だ。

 お喋りは、情報交換でもあるが、自己表現でもあり、学習でもある。人間としてそれなりに楽しく暮らしていくなら、お喋りが出来るコミュニティ(様々な集団)を自分の周りに作っていけることは、やはり大切である。つまり、暮らしはコミュニティを前提に成り立っている側面もある。

 前々号(No.34)で、「日々の暮らしの現実」を良く判っていない根無し草のような人が多数(かなり多数の男性・子ども・一部の女性)いると書いた。前号(No.35)でこの根無し草の一部の人が、「人が生きていく」と言う事より「法的安定性」(国の秩序)の方が大切と言っているとも書いた。言いたいことは、「人が生きていく」というのはどういう事なのかを、現実的に体験可能な理解として解かっていない(説明できない)人が、日本には多数いて、そういう人が日本の主流なっているという事である。

 これに対し、上記で述べた様なしっかり地に根を張った現実の暮らしを体験している女性たちは、日本では中々、主流になれないでいる。世界の経済や政治動向は、どうやら、現実の暮らしに根を生やしている女性が主流になった方が、うまくいく(人々の暮らしに貢献しやすく・楽しく)ようだ。 (小池都知事や、高市首相人気の一つの根拠はここにもあるのでは。)

 では、どうすれば、この根無し草の人々も含めて「暮らし」「人が生きること」をもっと大切にする社会にしていけるのだろか。その一つが、「暮らし」「生活」の現実を分かりやすく表現する(分類して言語化する)ことであろう。その一つが、前号No.35で紹介したICF「国際生活機能分類」である。

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ご意見送付先・ kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)



 
 
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