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「学生主体」とは言うけれど・・  本当は学校主体・教員主体・・VETミッション・・・No.50・・7月15日発信 


 人間」としての主体性が生かされないと人生は楽しくないとすれば、「職業教育」の「教育」の部分での、学ぶ人々(学生など)の主体性は生かされているのだろうか。これは、18歳以上が学ぶ高等教育機関だけの話ではなく、小中高等学校での児童(小学校)や生徒(中・高)(彼らにも人権がある)の主体性が生かされているかという問題でもある。

 筆者も教員としての経験がある大学などの日本の高等教育機関では、学習者としての学生の主体性が生かされているとは言い難いというのが実感である。最近、高等教育機関での教育活動の実情が最もよく示している資料としてのシラバスを調べているが、見る限り学生の主体性が生かされているとはとても言えない。言い換えれば、大多数の学生は、少なくとも授業(学び)を楽しんではいないということである。

 こうなっている理由は、学生側・教員側・教育機関などそれぞれにある。(成人としての自覚もないまま)自ら主体的に学ぼうとはしない学生が大多数というのが基本問題ではあるが、それ以上に教員や教育機関(経営者・事務局)が、高等教育国際宣言【注1】に示されているような学生を学習主体として考えていない教育対象=客体としてしか考えていない)という点が大きな問題である。此の点は、(傍証は沢山あるが)関係するシラバスの内容を読むと良く分かる。かつては、日本にも、学長選挙に学生も参加するという学生の主体性を認める大学もあったが【注2】それも消えてしまった。

 同時に、学生達が自らの主体性を自覚出来ないという点は、高校教育や小中学校の教育の問題でもある。これらの教育機関でも学習主体は児童生徒であり、彼らがやる気にならなければ、「生きる能力」は身につかない。しかし、少なくとも(一部の国立を除く)公立学校では、児童生徒の主体性を生かして「生きる能力」を伸ばそうという学習支援実践は極めて少ない。その結果、それを回避すべく私学に進学させる傾向が高まり、私学に行かなかった児童生徒の中からは不登校が多発している。【注3】

 なぜ、学習主体であるはずの児童・生徒・学生を育てるのが使命の学校(大学など高等教育機関を含む)は、彼らの「生きる能力」を伸ばせていないという現実に目を瞑り、また、様々な学習支援の実践の中で、児童生徒の主体性を生かせば生きる能力(のみならず学力も効率的に)伸ばせるという事が解っているのに、それができないのだろうか。

 その理由は色々あるが、此処では、三つの点に触れておく。第1は学校運営者が「生きる能力」を育てるのが自分達の使命だとは考えていないからである。第2は、「学習支援」の現場でそれをサポートするはずの教員が主体となってしまい「教育」を行ってしまうからである。第3は、児童・生徒・学生の学習支援を行うのであれば、彼らは一人一人志向が違うのだから、学習支援は個別支援(指導)が基のはずであるが、日本の学校では集団指導しか考えないからである。(国際的にも、今や日本の学習塾ですらも、個別指導が基本。) 

 つまるところ、結局、学校当局も教員も、児童生徒学生を学習「主体」として確認しその「生きる能力」の成長を支援するのか、「教育」の客体として知識を詰め込むのかという分岐点で、どうするかが問われている。(個別に学習支援を行える力量を持つ教員や状況が整わない中でも)

 

【注1】1998年にユネスコで行われた「ユネスコ高等教育に関する世界会議」において行われた宣言。

【注2】一橋大学では1998年まで学生は強制力を持つ除斥投票を行う権利が認められていたが、文科省の圧力で廃止された。

【注3】東京都文京区では、2023年頃から48.5%、都全体では20%程度である。不登校は全国で約4%となっている。

                           (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)


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