「全身で」表現できれば、人生は楽しい。・・・No.24・・1月14日発信
- 川廷 宗之(Motoyuki Kawatei)

- 1月14日
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表現の方法は色々とあるが、一番基本的なのは体全体からの表現だろうという事は、赤ちゃんと付き合っていれば解る。そして、長ずるに従って表現内容を言語(など)に置き換えられることを求められ、多分その為に、体全体での自由な表現が出来なくなっていく(下手になっていく)という事もあるだろう。
(日本では特に?)教室では、小さい時から体を動かすことも声を発することも、表情で表すことも、自由には出来ずコントロールすること【楽しくない!!】が求められる。これは、本来の「人間」としての成長を支援するはずの「教室」での活動としては異常であろう。(人間をロボットにするという意味ではありえるだろうが。) 従って、教員だって人を押さえ付けても(普通は)楽しくないのだから、無理にそれを行えば学級崩壊になったり、不登校の子どもが増えるのは当たり前である。
自由な(自然な)表現の中でも身体表現は、人間としての基本的表現だろう。全身で笑い、全身で喜び、全身で悲しみ、全身で怒る(他者が傷つく「暴力はいけない」のではあるが)表現は有って当然であろう。それをより豊かに(踊りや音楽や造詣表現などへの昇華も含めて多種多様な方法で)表現できることや、それを受け止められることは、本人が楽しく生きるためにも、他者とのコミュニケーションの方法としてもとても大切なことである。(多分、動物(植物)とのコミュニケーションもあり得る?) しかし、これらはある程度多様な経験を積み、あるいは練習(学習)しないと出来ない(暴力を使わない「怒り」の表現方法など)ことでもある。まさにその修得を支援するのが「教室などでの学習支援」だとも言える。
人はどんな時に「嬉しい」「喜ぶ」「悲しむ」「怒る」のか、それをどう表現するのか、実際に色々な状況を考えながらその表現の仕方を考え、実際にやってみる。そんな授業があったら、これくらい学びの多い楽しい授業はないのではなかろうか。その方法の一つにロールプレイングという方法がある。次回はこれについて触れよう。
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