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あたしは ばんごうに なりたくない あたし かずじゃない おなまえがあるの・・・No.32・・3月11日発信

私は、人とのかかわりを考える時、関わる人については、当然、一人一人の人間として個性や特徴や「生きざま」(人生)を意識している。そして、関われない大多数の人につても、その人なりの人間としての人生があるのだろうと考えている。しかし、見聞する社会の多くの場面では、少なくとも個人的に関わっていない人間に関しては、一人一人の人生は消えていて、単なる「数」にされる場合が多い

国内でも、交通事故死者数〇〇人、自殺者数〇〇人、◇年△組〇〇人、求職者数〇〇人、・・・。国際に目を向ければ、◇△〇国による攻撃で、◆▲●国の死者は〇〇人、。などと日々報道されている。その時に、いつも思うのは、単なる〇〇人ではなく、その〇〇人には一人一人、本人にとっても周りの人にとっても、かけがえのない人生があったのだろうに、という事である。人を殺せと命令する人たちや、殺しに行く側にとっては、一人一人の人生などどうでもよい単なる数(数えられる物)に過ぎないのだろうか。

タイトルにしたフレーズは、最近話題になっているパレスチナの子どもが書いた詩の一節である。

流石に、直接、人を殺す兵隊の中には、「人」を殺すことが貴重な人生を消してしまう事だと無意識の内にも気が付いて、精神的な苦悩を抱えることが少なくない。それは、人間として正常な反応だろう。しかし、そういう人間としての正常な反応は、他者を殺すのには邪魔だとAIロボットなどにそれをやらせようという動きが出てきている。AIを人殺しの道具にはしないという信念を持っている開発者もいるのだが、そうではない儲かりさえすれば何でもありという人たちもいる。

資本(お金)が基本である(人間(人生)が基本ではない!)資本主義社会では、そうならざるを得ない面もあるので、それを規制すべく人類は色々な知恵を積み重ねてきたはずである。しかし、それらの知恵は一人一人が守らないと、暴力の前では簡単に壊されてしまう現実が、2026年の今、目の前で展開されている。そして、暴力から身を守るために暴力を使うのは当然だという考え方も。しかし、暴力の連鎖の中で、一人一人の掛け替えのない人生は、また、無視をされていくのだろうか。それが解っていれば、暴力の行使を容易にするのではなく、暴力に至らない様々な方法を全力で講じていくべきなのではなかろうか。

   単なる「かず」ではなく、名前があってかけがえのない人生を、世界中のみんなが楽しめる様になるために・・・。

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タイトルのフレーズが含まれいる詩は、HPの会員ページで読むことが出来ます。

また、下記のURLからもご覧になれます。https://a0153.hatenablog.com/entry/2026/01/26/082919

 

ご意見送付先・ kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

 
 
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