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「人生(生活)」を楽しむ。・・一人一人違う、かけがえのない人生・・ ・・・No.34・・3月25日発信


前回「人間として生きる」とか、格好の良い表現をしてしまったが、要するに日々、暮らしていくという事である。普通なら、朝起きて夜寝る(どんな寝方をするかもあるが)まで、様々な「暮らし」を展開するだろう。その中で、最大の課題は「食べる」ことだろうか。

 一部の男性(ごく一部の女性を含む)や子ども等の、食べさせてもらっている人には理解し難いだろうが、この「食べる」を適切に展開するのは、実はそう簡単ではない。食べたい食べられるものを、手あたり次第食べれば良いというものでは、勿論ない。栄養のバランスもある程度考えながら、食欲をそそるような美味しいものを食べられるように、必要なものを買って来て、調理して、食べて、片づけて、という一連の「流れ」(計画)を組み立てて、実行していかなければならない。買って来てという以上は、お金もかかるのでその計算もしておかないといけない。時間がないからと、手短に外食で済ませようとしても、自分で調理するよりはほぼ倍額のお金がかかる。倍額払ってもそれだけ稼げるならともかく、そうでないのであれば、何とか時間とお金と食欲の「やりくり」を考えていかなければならない。そして、この「ながれ」や「やりくり」の展開は「食」に限ったことだけではなく「着るもの」や、「快適な居住(よく眠れる過ごしやすい自分の巣)」の確保、その他、衛生上の活動、更には「仕事」などにも同様である。

 しかし、「仕事」はともかく、以上のような人生(生活)の基本部分に関わらず(体験せず、知らず、)この「ながれ」や「やりくり」の展開を考えず、無意識に与えられた流れに乗って生きている根無し草的人々(かなり多数の男性・子ども・一部の女性)がいる。この根無し草的人々が「人生」(生活)を考えたり語ったりすると、その内容の大半は現実離れしたものになる。そして、この「現実離れ」は「もっぱら言葉でやり取りされる」(政策づくりや法制度の運用や「教育」などの公務も含む)「仕事」にも反映していくので、根無し草的人々の現実離れした仕事が、多くの人の人生(生活)の支障になっていく。

 つまり、生活を楽しむ食への「ながれ」や「やりくり」の展開を楽しめることは、「人間として生きる」ことの基本なのである。「学習の四つの柱」の、④人間として生きることを学ぶ には、このような意味での「人間として生きる」基本と言う意味が含まれていると考えてよい。高尚な「生きがい」論も大切だが、その「生きがい」も、この基本としての「食」などの「ながれ」や「やりくり」のどこかに繋がっているのであり、それを全く離れた議論は意味をなさない。

 そういう意味で、学習の基本目標は「人間として生きることを学ぶ」であり、そのための、②為すこと(職業上の)を学ぶ ③(他者と)ともに生きることを学ぶ であり、そのための①知ることを学ぶ なのである。それを踏まえないで、何のためかも考えないで、知る事ばかり強要されても、強要される方(学生など)はやる気に成れないのは当然である

 基本目標が、「人生を楽しく生きる」ためと言うのが明確であれば、学習はとてもやりがいのある楽しいものになるだろう。

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(訂正)・・前回33秋目の下から4行目の、『「身を立て」組も体験もすくめた学んでいれば』は、『「身を立て」組も体験を含めて学んでいれば』の誤りでした。お詫びして訂正します。

(コメント)・・「魔王」の詩にも「たのしく遊ぶため」という表現がある点に留意を!・・

ご意見送付先・ kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)



 
 
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