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かけがえのない人生・・「名を上げ」ない人にも・・・・人間として「生きる」ということ・・・ ・・・No.33・・3月18日発信



 日本人なら誰でも知っていると思われる「故郷」と言う童謡がある。この歌の3番の冒頭

「志を果たして」となっている。少し古い日本人なら誰でも知っている卒業式の歌に「仰げば尊し」という歌がある。この2番に「身を立て 名をあげ」という一節がある。これらから、殆ど意識していなくても、それとなく伝わってくるのは、「社会の中で認められる人生を送れ」というメッセージであったと思う。(こう思うのは、私だけだろうか。)

 しかし、人間として「生きる」という事は「身を立て、名を上げ、志を果たす」ことなのだろうか。そして、「学ぶ」「勉強する」のは「身を立て・・」のためなのだろうか。無意識のうちにも「身を立て・・」パターンに思考が拘束されていると、「生き甲斐」の議論なども「身を立て・・」の内容論になってしまいかねない。そして、もっとも気になるのは、「名を上げられない」人生(例えば、福祉サービスの対象者の人生)は、社会にとって意味のない人生だと切り捨てられてしまいかねない発想である。

 この一文も含めて、こういう思索や文章を表現する(言語化できる)のは、何らかの「身を立て」組であることが大半である。そして「言語」で判り合っている人生に、現実生活のリアリティは少ない。「身を立て」組の人たちには、そうではない一人一人がどんな気持ちで暮らしているか、日々、何を気にしているか(今や、ごく普通のリンゴやイチゴでさえ贅沢品で中々口に入らない寂しさを味わっている人も少なくない)等などは「リンゴ」や「いちご」という言語から受け止められない。

 なおかつ、「身を立て」組同志で生きているコミュニティには「名を上げ」られない人は含まれていない。

 しかし、前回も書いた様に、「名を上げ」ない人にも、かけがえのない人生がある。「名を上げ」られない人生はたんなる「数」ではない。こういう問題の最大の原因は、言うまでもなく、経済的格差である。しかし、同時に見逃せないのは、特に幼児期・青少年期の「学び」の質である。

 ユネスコの、学習の持つ意味を整理した「学習の四つの柱」という短い文書には、①知ることを学ぶ ②為すこと(職業上の)を学ぶ ③(他者と)ともに生きることを学ぶ ④人間として生きることを学ぶ の4つが上げられている。日本の学校教育が、一部を除き①に大幅に偏っている(一部の教育では、①しかない)のは、明らかである。しかし問題は、「学び」の中心テーマは②③④であり、特に④の「人間として生きる」が問題だろう。この④のリアルを「身を立て」組も体験もすくめた学んでいれば、単なる「数」扱いの発想は、少なくとも意識的に扱われるようにはなるのではなかろうか。

 では、この「人間として生きる」という学びの内容はどういうことなのだろうか。次回からこの点について検討してみよう。

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ユネスコの「学習の四つの柱」(原文・日本語訳)は、HPの会員ページで読むことが出来ます。 また、ネット上でも多数の解説を読むことが出来ます。

ご意見送付先・ kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

 
 
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