現代日本の「人生や生活の法的基盤」は憲法のはずVETミッション・・・No.44・・6月3日発信
- 川廷 宗之(Motoyuki Kawatei)

- 6月3日
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このVETミッションのテーマは、「一人一人の人が楽しく幸せに暮らすには」である。その意味で、自分の事(人生や生活の内容)は自分で決めることが大切だと書いた。しかし、教科書通りに言えば、何でも自分の好き勝手に決めて行ってよいという訳ではない。その枠組みを定めている基本法が、日本国民(日本国内にいる人々?)にとっては日本国憲法である。
この日本国憲法は、第九十八条【憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守】で、『1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを 必要とする。』とされている。
さらに丁寧に、第九十九条【憲法尊重擁護の義務】では、『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』となっている。従って、国民も、この「日本国憲法」を守る義務があり、現状に合わない部分は変える様に、努力する(第九十七条【基本的人権の本質】・・基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果・・)必要がある。
そこで、前回、現状に合わない分は、変えやすい様にすべきだという話になる。
しかし、この憲法は、変わるまでは遵守義務(99条など)があるのは言うまでもない。ところが此の点に関して、いくつかの問題がある。
その第1点は、憲法に反しない筈の数多の法令の中には、憲法の条文から見て整合性があるのかどうか疑わしいものも少なくない。中には、憲法よりも、法令を執行する行政や司法機関や、法を作る立法機関(国家機関)の都合が優先されていると考えられる物も少なくない。特に、国民一人一人の権利の尊重と、これに関する(国家)機関の活動の都合を比較してみると、気になる点は多い。この背景には、憲法に書かれている国民主権という考え方と、古くからある日本国という「国家」主権(主権は王にあるという古い考えに基づく)の違いがあるのであろう。しかし、少なくとも憲法がある以上は、「国民」主権(例えば憲法を変えやすくするとか、重要な法令は国民投票に付すとか)を守らなくてはいけないし、特に公務員は、自己の考え方は考え方として、憲法の考え方を遵守すべきだろう。
もう一つの問題は、憲法を変えるのは大変だからと、憲法の条文の解釈を変えて、事実上、憲法を変えてしまうことである。この解釈は、誰が見ても日本語的な解釈としては不適切な内容にこじつけるのだから、「解釈改憲」と呼ばれる、これがまかり通るなら、何でもこじつけで通りかねないことになる。これを、国会や行政機関の責任者たちが行うと、結果、憲法の条文(すらなので他の法令は言うに及ばず)は「テキトウに」解釈しておけばよいので、きちんと守らなくても良いと考える人が多くなるのは無理のないことである。
この憲法は適当に、法令も(事実の解釈すらも)自分の都合の良い様にすればよいのだ、という流れは、結局は、取り締まられない限り「やりたい放題」でOKという事になり、社会は、権力と暴力と金を持つもの次第ということになっていく。最近は、国家間同士ですらこうなっていて、憲法第98条の国際法規の遵守どころではなくなってきているとも言えるだろう。これでは、暴力はもとより権力も金もない、「一人一人の人が楽しく幸せに暮らす」等は、到底無理である。
この様に考えると、改めて、憲法の条文の中で、変えてはいけないもの、変えた方が良いもの、新たに付け加えるものなどについて確り考え、皆で議論すべきであろう。現状の社会状況や国際状況を考えると、現状とは合わない内容もあり、これらに関しては早急な検討が必要である。あわせて、変えるべきではないと大多数の国民が考えている条文(例えば、第14条(法の下に平等)などは、それを尊重した法改正の議論を展開すべきであろう。どのように重要な法令であろうと、大多数が変えるべきではないと考える条文と矛盾する改正や新設は、法治国家としては、特例などとの言い訳を含めて、許されるべきではないと考えるべきだろう。
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