「国試・合格」は、「楽しく生きる」手段であって、目的ではない。 VETミッション・・・No.51・・7月22日発信
- 川廷 宗之(Motoyuki Kawatei)

- 7月22日
- 読了時間: 3分

職業教育を行う高等教育機関の教員が、色々と理想はあるけれど、上(学校経営者)からは、とにかく国家試験(以下「国試」)合格率を求められていて、国試向けの授業(教科書を覚えさせる)をするしかないのだと、嘆いていた。
これには二つの疑問がある。一つは、国試合格という手段が先に来て、当該専門職に何故なりたいのか、なって何をしたいのかという「目的」が曖昧になっている点である。
二つ目は、国試は、丸暗記だけで合格するのは難しいということである。国試は、専門職として活動するためには常識として身に着けておかなければならない、実践現場で使う有効な技術や知識を身に着けていなければ、国試への合格は難しい。さらに、どうしても合格したい、合格しなければ道が開けないという強い意志がなければ合格は難しい。
つまりは、先ずは、当該国試が前提としている専門職は「誰のために、何をする」ことで社会的な役割を果たそうとしているのかを、当該専門職になる学習を行う過程で、しっかり確認しておく必要がある。従って、専門職養成教育に基本は、当該専門職の社会的意義(当該サービスの利用者にとっての意味)を常に確認し続けることである。その様なこと分かって入学してくるはずだからと、この社会的(利用者にとっての)意味を飛ばし、知識の詰込み教育をしても、当該職業に関する信念と志向を高めていくことにはつながらず、国試合格への意欲は高まらない。
特に、エッセンシャルワーク(必要不可欠な仕事)では、相手のある仕事をするのだから、その人たちとのかかわりの体験を通して、また、学んだ知識や技術を活用し、利用者理解を深め、その支援の効果を確認する(利用者に感謝されるなどの)体験を通して、当該職業を志向する意志と信念を固めて行けるように、その学習を支援していくことが必要である。
この様な、自分の意思や信念を作っていくのは、他者から言われてそうなるのではなく、自分で体験し、発見し(気が付き)、考え、自分で自分(の人生)を作っていくのでなければ、本人がその気になっているとは言えない。人によって取り組み方や集中度合いなどに個人差があるが、基本は、本人がどうしたいかを自分で確認していることである。
そうなっていないと、実際の対人支援場面でも、利用者の意思(主体性)を大切に尊重し、寄り添っていくという、支援は難しい。(サービス利用者が支援者自身の思うようにならないと、本末転倒した発想で暴力をふるったりするケースが出てきたりする。)
教員の役割は、この様な学生の自ら学んで(経験し、発見し、考えて、判断して)いく過程を支援すればよい。この過程では当然、専門知識や技術を活用する必要があるので、知識や技術は体験と結びついているので体で覚えていくから、暗記するよりもずっと速い。(専門職に関する国試対策としても、この方が速く確実である。)勿論、教員がこの様な学習支援を行うには、現場実践経験を踏まえて、関連知識や技術に習熟し、学生が学べるような環境条件(授業や実習)を設定していくことが、求められるのは言うまでもない。
(泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)
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