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学習と教育は「主語」が違う     学ぶ(学習する)のは、私達。     VETミッション・・・No.60・・    2026年9月23日発信   

16 時間前
読了時間: 3分
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 日本国内の教育関係の資料や文献を見ると、殆どは、主語が「教育する側」(教員や教育機関・等)になっている。(日本語は、主語を書かないで表現する場合も多いので、明確に断定はできないが。)この点は、福祉や医療や対人サービス関連の資料もほとんど同様で、福祉や医療や対人サービス、あるいはそれにかかわる専門職員やスタッフが主語になっている。

 ついでに言えば、教育や福祉関係の論文や資料には、「学生や利用者のニーズへの対応」とか、「児童・生徒や利用者に寄り添って」とかのフレーズは沢山出てくるが、そのニーズの内容は何かとか、利用者の「何に」寄り添えばよいのか、といった研究に出会うのは、まれである。多くの場合は、教育する立場から、福祉サービスなどの提供者側から、教員や福祉スタッフを主語にして、何を目的にどうすべきかについて触れた文書資料が大部分を占める。

 しかし、教育対象の児童・生徒・学生・市民・などは、一人一人、人間である。一人一人異なった個性を持つ、人権を持っている主体でもある人間である。何を食べ、何を着て、どう働くか、どう遊ぶかを自分で選びつつ生活を楽しみ、人生を創って行く、(他者からの指示ではなく)自分で決めていく主体である。限られた条件下で、選べない場合もあるが、願望を持つことまで否定されるわけではない。この、学習主体の主体性の発揮を否定し、客体として「大人しく言うことを聞け」と面と向かって押さえつけるのは、基本的に無理がある。

 にもかかわらず、「教育」や「医療や福祉サービス」などでの、教育する側やサービス提供側は(時に子に対する「親」も)、多くの場合、自分達(教育する側やサービス提供側)にとって都合の良い内容である事を自覚せず(無意識に)、「貴方の為なのだから、大人しく言うことを聞け」と、日々の生活や活動の内容や方法を指示(命令)している場合が極めて多い。

 こういう状況に毎日さらされる学校に行かなければならないのは、子ども(学習主体)にはかなり過酷な体験である。結果、不登校が増えるということになる。不登校の原因調査や研究などでは、いじめが原因とか、クラス内の階層性であるスクールカーストの問題などを上げるケースも多い。直接的原因はそうかもしれないが、その背景には、教員による児童生徒の管理(教育)の問題を上げるべきだろう。

 多くの場合、サービス利用者が高齢者施設にはなるべく入りたくないとか、デイサービスに行きたくないとなるのも、根は同じ事であろう。

これでは、学習者やサービス利用者のニーズを満たせないし、学習者やサービ利用者は面従腹背の練習を日々行うことになってしまうという事である。結果として、教育も福祉サービスも、本質的な意味でその目的を果たせないで、非常に多くの無駄な活動を展開していることになる。矢張り何とかしなければ、みんな楽しくないのではないだろうか。 

 

(泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)


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<前回のVETミッションでは、「学習-秘められた宝」の原典の出所を示すべきだというご指摘をいただきました。当然のご指摘ですので、遅ればせながらですが、此処に出典を示しておきます。

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〇このVETミッションの内容に対しては、色々なご意見(異見)があり得ると思います。よろしかったら是非、投稿いいただければ幸いです。  

投稿先・info@rdipa-vet.org 

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