物語詩「魔王」の「魔王」とは??・・・No.28・・2月11日発信
- (一社)職業教育研究開発推進機構
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繰り返しになるが、この「魔王」をロープレや演劇などで表現しようとする時、最も大きな課題は、お互いに理解し合えないまま、亡くなっていく子どもと、そういう子どもの訴えを理解できずにその子を失っていく親の心境にどう理解しどう共感するか、であろう。
関連する色々な体験を持っていれば、その暗黙知を踏まえた共感や理解を形式知として言語化し、表現することも可能であろう。しかし、類似体験を含め、体験が少ない、あるいはない場合は、暗黙知がないので、このプロセスが踏めない。この場合、この「子」や「(父)親」の心境への共感や理解は、どこまで進むのだろうか。また、子や親としての体験があったとしても、そこ迄、思い入れは無いのかもしれない。
とすれば、亡くなっていく「子」への共感や理解を含め、(同じ)人間としての共感や(深い)理解をどの様にして獲得していけば良いのだろか。
あるいは、その様な共感や理解ができる能力を獲得していく必要はないのだろうか。最近の様々な問題を見ると、どうやら人間としての共感や相互理解などに配慮をする必要を感じない人が、(最強の権力者たちを含めて)増えているような気がする。
しかし、多分、こういう共感や理解がないと人生を楽しめないのではなかろうか。楽しんだ経験がなく、自分が楽しめないから、それが当たり前だと思っているので、平気で他者にもそれを強要(苦しめる。殺す)していく。
とすれば、こういう人生を楽しめない不幸な人を生み出さないためには、どうすればよいのだろうか。ユネスコ21世紀教育国際委員会が出した「学習の4つの柱・『学習―秘められた宝』」という短い文書があるが、その4項目(最後)は、『人間として生きることを学ぶ (learning to be)』である。
まさに、今、日本の教育に問われているのは、この点であろう。とすれば、まさにこの「魔王」をどう理解し、演じるかは、大きな課題でありえるのではなかろうか。
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ご意見送付先・. kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

