物語詩「魔王」の登場人物の心境と動きは??・・・No.27・・2月4日発信
- 川廷 宗之(Motoyuki Kawatei)

- 1 日前
- 読了時間: 2分
「魔王」の登場者は取り敢えず「父親」・「我が子(坊や)」・「魔王」・(「魔王の娘たち」)と考えてよいだろう。一つの流れとしてして演じるには、「語り手」がいた方が良いかもしれない。
とすれば、その一人一人の心境や行動をどう想像するのだろうか。
「父親」は大切な大切な「我が子」に何を思いどうしようとしていたのだろうか。
その「我が子」は、「父親」に何を伝え、どうしようとして欲しかったのだろうか。結果的にどうなったしまっただろうか。
そして「魔王」は。「魔王」は何故、その子を欲しがったのであろうか。どうすれば、奪えると考え、どういう方法を考えて実行したのだろうか。そこでの「魔王の娘たち」は何をどうすれば「我が子」を引っ張れると考え、実行したのだろうか。そもそも、なぜ嵐の夜に「父親」は、わざわざ「我が子」を連れて馬に乗って走らなければならなかったのだろうか。
「父親」「我が子」「魔王」の三者の関係がどう展開し、結果どうなったのかを、見ている人(相手)に伝えるためには「演じる」人が、それぞれ、「父親」「我が子」「魔王」(「魔王の娘たち」)に(心境や行動で)なりきって演じる必要がある。その為には、言うまでもなく、行動の理由としての心境や何故そういう行動をとったのかを演者なりに解っていないと出来ないであろう。
「解る」と言っても、それはその人の想像に過ぎないのではあるが、それでも親として子としての体験があれば「父親」「我が子」についてはある程度は想像できるかもしれない。(役割経験がない、あるいはあっても類似体験がない場合、想像すらできない場合も充分にありえる。)しかし、問題は「魔王」である。「魔王」の心境や行動はどう考え、どのように「想像」したらよいのだろうか。あえて言えば、私たちの生活体験の中で「魔王」とは、どんな「事」「人」なのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回の「魔王」は、子安美知子著「ミュンヘンの中学生」pp.84-86 1980年4月 朝日新聞社刊 から引用。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見送付先・kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)
