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「楽しい」と「楽(らく)」は同じか・VETミッション No.3・2025 年 8 月 20 日発信

日々の暮らしを「楽しく」感じるには、「受け容れられ ている」事が大切である。しかし、この「受け容れられる」「楽しさ」には、取り敢えず「楽である」という面と、

積極的に「楽しんでいる」という面がある。あなたが「楽しい」と感じるのは、そのどちらだろうか。

過日、私はあるプログラムに参加した。指導者の言う通り体を動かし、声を出していれば、何も考えなくてよい、独自の行動をするには抵抗感があるプログラムだった。何時も自分が何をどうするか、自分で決めてきた私にとって、これは大変違和感のある感覚だった。しかし、その様な余計なことを考えないで、ひたすらそれに浸っているととても「楽」であることも発見した。ある種の「お上」に身をゆだねていれば「楽」に過ごせる感覚である。これを「従属者の幸福」というのだろうか。

「お上」の言う通りしていれば、それなりに何とかなっていくのであれば、とりあえずとても「楽」に過ごせ るのだから、それ自体が「楽しい」のだと思っている人もいるのだろう。大勢に従うように「教育」されてきている人も多い。そこでは自分なりの個性を発揮すると却って肉体的にも精神的にもキツイ状態になり「楽」ではなくなる。であればだれでも、面倒だから「大いなる存在」に身をゆだねてしまえと思う時もあるだろう。

しかし「楽」であれば「楽しい」のかと  問われれば、それは違うという人もいるだろう。次回はその点について少し考えたい。

(参考)本稿に関しては、ネットで読

める、白田秀彰さんの「従属者としての幸福」や、教育ライター佐藤智さんの「奴隷の幸福」が参考になる。


ご意見送付先・ kaateikaikyo@yahoo.co.jp. (泣いた赤鬼・川廷    宗之・記)

 
 
 

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