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「認めてくれる仲間がいれば「楽しい」・VETミッションNo.11・  2025年10月15日発信

 取り敢えず「楽」には暮らせても、それだけで「楽しい」とは言い難い。「心」が満たされないからである。

 衣食住などの「生理的欲求」や、逃げなくても生きられる「安全欲求」や、「そこにいてもいいよ」という社会的欲求が満たされれば、当面日常生活の中で「困る事」はない。しかし、「心」が満たされるには、周りの仲間などから「そこにいて欲しい」(仲間の役に立ってほしい)と思われていると自覚できる必要がある。これが「承認欲求」(マズロー)である。これが満たされると「楽しい」

 家族や学業や職場や趣味や地域の仲間など、色々な方々から褒められたり、頼りにされれば、取り敢えず「楽しい」。では、どうすれば、それぞれの期待に応えられるのか。相手の期待内容を(言語的に)理解し、その内容を実行し、具体的な成果を出す事が求められる。 

 が、そう簡単ではない。この相手が、一人なら取り組みやすいが、多くの場合複数である。対応する集団も家族と職場の様に複数である場合が多い。それぞれの期待が矛盾してしまう場合もある。そもそも色々な人がいるので、相手の「期待」の内容を理解できない場合すらある。此処で無理をすると、「楽しくない」どころか、人生を見失いかねない。

 では、どうするか。認めてくれる集団や、人を絞るのも一つの方法である。認めてくれる人や集団は、多ければ「楽しい」とばかりは言い切れない。

 他の方法は、他者からの期待ではなく、自分の(自分自身への)期待を確認することである。自分は何を(できればどこまで)どうしたいのか、を確認した上で、そういう自分に期待してくれる仲間を探し、増やしていく。仲間が少ない増えない場合も、この期待が変化していく場合もあるが、それはそれでよい。自分自身を他者の枠組みに合わせるのではなく、自分の個性を生かして行けばよい。これが出来れば、自分とは異なる個性も、仲間として受け容れやすくなる。こうすれば人生は「楽しい」

 これは、「自己実現」を目指す事でもある。「自己実現」については次回、触れよう。

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ご意見送付先・  kawateikaikyo@yahoo.co.jp     (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

 
 
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