あなたを「認めて」下さる方はいますか。・VETミッションNo.8・ 2025年9月24日発信
- 川廷宗之
- 9月24日
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衣食住がそれなりの満たされていて、少しは自由に使えるお金もあって、変につけ狙ってくる人もいない「安全」「安心」な状態なら、とりあえず、「楽」には暮らせるでしょう。しかし、人生を「楽しむ」ためにはそれだけでは不十分です。
「楽しく」暮らすために不可欠なのは、あなたを一人の独立した「人」として、認めて(大切にして)くれる人がいることです。こういう方がそう多くはなくても複数いると、「楽しく」生きられる確率が高くなります。
さらに、重要なことは、あなたが他者を、それぞれの個性を持つ独立した自由な人間として、認めることが出来ると言う事です。(認めていることを伝えることが出来る。)
この「認められたい」欲求は意識されやすいのですが、後者はあまり意識されない傾向があります。
なお、この「認められる」「認める」と言うのは、役に立つ(利益になる)とか、自分に都合が良いからではありません。現実の関係では、利益関係を切り離せない場合もあるでしょうが、基本は相互に一人の「人」として認めあえるかと言う事です。この辺の課題が、マズローの第三段階の「社会的欲求」と言う事でしょう。
こういう関係は、幼児期から、だんだんに「認られる」関係を体験しながら、それを踏まえて、「認める」能力も身に着けていくと考えれます。従って、幼児期から青少年期の「認められる」体験や、「認める」仲間がいる体験は非常に重要な意味を持ちます。かつては子供の周りに「親」のみならず祖父母などの親族や近隣の方がたなど、「認める」人が複数いたし、子ども同士の関係の其れなりにあったのですが、都市化した社会では「親」や「家族」しかいなくなってきました。
ではどうするのかを含めて、この点については、次回もう少し深めてみましょう。
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kawateikaikyo@yahoo.co.jp (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)
