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人生の「楽しさ」にこだわる。・VETミッションNo.15・ 2025年11月12日発信

 前回までに触れてきた、他者を踏み台にしないで、人生を「楽しむ」には、そのための学習が必要であるという事であった。その大前提は、人生何かのテーマで「楽しく」【愉しく】なければ終わりということである。現実には、「楽しくない」要素も多い。自分の意欲や努力は認められず、褒めてくれる人もいない人も少なくない。こうなると、ますます自らを閉ざしてしまうので、「楽しさ」を感じる機会が減ってしまう。

 これを乗り越えるには様々な意味での「学習」しかない。しかもその学習は「楽しく」なければならない。

「楽しい」学習の最も基本は、当該学習が本人の期待(希望)と一致する事である。学習者本人は何も分からないのだから、そこに新たな知識を流しこめばよいのだとする説もある。これは明らかな間違いである。自らが望んでもいないことを強いられても決して楽しくないし、ほとんど身につかない。誰でも(赤ちゃんでも)その学習者が何等かの興味関心を持っている。いわば主体的(本人中心の)動機があり、それが満たされれば、「楽しい」展開になりえる。受験勉強も同様である。

 学習が「楽しくなる」のは、自分の興味や関心を切っ掛けに、何かが新たにできる様になる・同じものを見ても伝わってくるメッセージの質量が増えていく・(自分の)未来への可能性が広がっていく・学ぶことによって自分が変わっていく・等を実感できるからである。

 もう一つの「楽しい」の重要な事は、誰かに「喜んで」貰える(褒められる・受け入れられる・など)という事である。学習者本人が1人で「楽しんでいる」場合も、あり得るが、それが誰かを喜ばせる時、その「楽しさ」は決定的になる。

 これを乗り越えていくためには、乗り越えていく学習支援が重要になる。特に、発想や行動力を仲間から学びながら成長して行ける実感を得られる場の提供は、学習の過程で非常に重要な意味を持ってくる。

 ではどういう学習支援が望ましいのかについて、以下(次回以降)触れていきたい。

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ご意見送付先・  kawateikaikyo@yahoo.co.jp     (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

 
 
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