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楽しく」「愛しあう」には、時間が必要だ!!・VETミッションNo.18・  2025年12月3日発信

 「冬」になった。「秋」もそうだが、一層、「人」恋しい季節である。残念ながら、一人ポッチで誰からも誰に対しても「愛されている」「愛している」「恋している」とは実感できず、寂しい思いを押し殺している人は、近年、特に多くなっているようだ。「愛し」「愛される」の基本は、親密な人との関係であろう。が、理論や理屈はともかく、実態としてこういう関係を作れないとか、そもそも、愛する人同士の「親密な関係」と言うのが実感として良く判らないという人も多くなっているのかもしれない。(筆者も含めて??)

 この親密な関係の最も基本形は、多分、子供の頃から周りの人々から大切にされる(愛される)経験を持つことで、他者を大切にする(愛する)感覚を身に着けていくことだろう。現代日本の問題点は、子どもたちが周りの人(親、祖父母、兄弟姉妹、近隣の人々・友達、保育園や学校の先生など)から、一人の人間として大切にされるという経験が少なくなっていることであろう。

 その一つの原因は、親子などの「共同行動の時間」が減っている事ではなかろうか。20世紀後半から、それまでの家業で一日中、子どもの傍に居た大人達は、仕事で家を離れる職住分離が当たり前になった。結果、親子などで共同行動をする時間がどんどん減って行った。さらに、子どもも大人も厳しい競争社会の中で共同行動どころではなくなった。

 その結果が、親密な人との関係を作れないという現象ではないのだろうか。

とすれば、今大切なことは、親子を含め親密な人との「共同行動の時間」を増やすことである。労働時間上限規制は、その意味で大きな意味がある。この上限を引き上げようという人がいるが、親密な人間関係の形成や子育て支援の基本は、お金も必要だが、基本はゆったりと共同行動を楽しめる時間を確保することではないか。

理論や理屈も大切だが、先ずは「愛する」「愛される」実感を体験できるような共同行動(親子で一緒に食事が出来るなど)を行える環境整備を期待したいものである。

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ご意見送付先・kawateikaikyo@yahoo.co.jp     (泣いた赤鬼・川廷 宗之・記)

 
 
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